• Shigeru Kondo

科学ライティングで憲法前文を校正する

自分は科学者なので、日頃書く文章のほとんどは、科学論文か一般向けの解説だ。「多くの人に自分の研究を理解してもらう」ことが目的なので、論理的に、簡潔に、誤解が起きない文章にする必要がある。ビジネスや法律関係でも、文章に求められるニーズは、基本的に同じだろう。


だが、そんな理想的な文章を、いきなり書くのは(少なくとも自分にとっては)無理である。いつも、大幅な手直しが必要であり、むしろ、文章の完成度は、その校正作業の方に依存する。校正を必要とする文書は多く、それに時間が取られるので、なんとか、その手間を縮小したい。そこで、自分流の校正作業のノウハウをわかりやすく解説したものを作ることにした。研究室に所属する学生や研究員が、それを読んで、自分で校正ができるようになってくれればありがたいし、無意識的に行っていた作業のプロセスを明確にすることで、自分自身の作業効率が上がるだろう。


そこで、改めて、自分がどのように「校正作業」をしているかをチェックしてみると、どうも、やっていることは2つに絞られるようなのだ。1つ目は、「それぞれの文の意味が明確になるように、語句や語順を変える」こと、2つ目は、「パラグラフの主張がスムーズになるように、文の順序を変える」ことである。この2つを行うことで、たいていの文章は、見違えるほど簡潔に、読み易くなるのだが、それを実感してもらうには、実例をお見せするしかない。


ということで、題材となる<非論理的>な文章を探そうとしたのだが、もともとが、科学論文とか解説文だと、分野違いの人が、内容を理解できない可能性が高い。だから、いっそのこと科学に関係なく、しかも、誰でも知っている文章の方が良いだろう。ということで、唐突ではあるが、日本国憲法前文を「科学ライティング」的に書き直してみることにした。


「あの素晴らしい憲法前文に触るな!」という人もいるだろうが、内容には文句をつける気はないし、自分自身、変えたいと思っているわけでもない。あくまで、読みやすくするための校正の例に過ぎない。だから、以下を読んでみようという方は、そのあたりを了解していただけるとありがたい。また、科学ライティングは「無粋」なものであることも、あらかじめ解ってもらわないと困る。


例えば

<古池やかわず跳び込む水の音>

<両生類無尾目の生物が、着水したときに発生する空気の振動>

と書き直すのが、科学ライティングである。情緒も格調もへったくれもない。だから、「崇高な雰囲気が失われた」とかいう文句は受け付けないので、そこのところ、よろしくお願いします。


以下は、憲法前文の前半部分である。各文に、名札を付けながら、ざっと、読んでいこう。


A:日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

B:そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

C:これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

D:われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。



全体的に、意味が解らないことは無いが、各文がバラバラでストーリーがあまり感じられない。そのため、記憶に残りにくい。逆に言えば、うまく並べなおせば、論理性もアップし、格段に、わかりやすい文章になりそうである。

ではまず文Aから。


文Aの構成をわかりやすく書くと

日本国民は、

正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、

われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、

ここに主権が国民に存することを宣言し、

この憲法を確定する。

となる。


文の骨組みは、

日本国民は>>憲法を確定する、

であり、その間に、「憲法を確定する」に至る4つの政治的な主張が、並列に述べてある。

この文の問題は、その4つの主張の内容が、

*並列的な内容でないこと

*順序がおかしいこと

の2つである。つまり、文の形式と内容が一致していない。そのため、文から得られる印象があいまいで、記憶に残らないのだ。


1と4は、間接民主制と主権在民を謳っており、この2つは日本国憲法が定める最重要ポイントである。だが、出てくる順番が悪い。どう考えても、主権在民が最初で、それを実現するための手段である間接民主制は、その後に来るべきだ。だから、この順序は、逆にすべきである。


だか、もっと問題なのは、2と3である。この2つは、憲法の中で決められることでは無く、日本国民が、憲法に則って行動することによりもたらされるはずの、恩恵である。だから、1,4と並列に並べるのは、意味的に無理だ。文を分けて、後ろに移動させねばならない。


また、「憲法を確定」という言葉はあいまいである。「確定」だと、まだ決定に至っていない候補がある、という印象を与える。当時、そんなものはなかった(少なくとも国民は知らない)のだから、ここでは単純に「制定」とすべきだろう。

以上を修正すると、以下のようになる。


A’日本国民は、ここに憲法を制定し、主権が国民に存すること、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動すること、を宣言する。日本国民は、この憲法に則って行動することで、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことなく、諸国民との協和による成果と自由のもたらす恵沢を確保することができるだろう。



文Bでは、以下のように、国政に関する3つの主張が、並列的に述べられている。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

その権威は国民に由来し、

その権力は国民の代表者がこれを行使し、

その福利は国民がこれを享受する。


まず、すぐに気が付くのが、文末が省略されているため、文意があいまいになっていること。1~3の内容を並列に述べているのに、3で終わってしまい、全体としての結語が無い。文章としては、誤りである。1~3の後に、それらをまとめて「~~のが当然である。」とか、「~~でなくてはならない。」とかの結語を加えたい。また、前半部(そもそも~信託による)と後半部(1~3)の関係は、前半が前提となる条件であり、後半が、それから導かれる3つの命題、である。となると、「であって」というあいまいな語句で、なんとなく繋ぐよりも、一度、文を切って、理由であることを明確に示す接続詞(例えば<したがって>)でつないだ方が解りやすい。


次に問題になるのが「国政」という語である。

1~3の内容は主権在民の概念の説明であり、of the people, by the people, for the peopleの日本語訳であることが推察できる。各フレーズの順序に問題は無いが、

国民が国政を信託する、というのは、普通に使う表現ではない。国民が「信託」するのは国政を行うための「権力」であり、その相手は「国家」ではないだろうか。試しに、言い換えてみると、

そもそも国家が行使する権力は、国民の厳粛な信託によるものであつて、

となり、見慣れたわかりやすい表現になる。


続く1,2,3の「その」に入るのは、現状の文では「国政」だが、実際に入れてみると

「国政の権威」、「国政の権力」、「国政の福利」

となり、意味がわからないことはないが、日頃使う単語の組み合わせではない。

「国家の権威」、「国家の権力」

が普通である。

「国政の福利」も、まあ、間違いではないが、もっと良い言い方がありそうだ。

この文は、「その@@は、@@する」を3回繰り返す、という構成にこだわったのが問題なのである。「その」の内容が微妙に異なるため、どれにも当てはまりそうな「国政」という単語をあてはめたのだが、残念ながら、すべてが微妙ピンボケになってしまっている。

だから、その構成をあきらめてしまえば、素直な文章になる。科学ライティングだから、文の格調とかは、どうでも良い。


以上の考えに従って直すと、

そもそも国家が行使する権力は、国民の厳粛な信託によるものである。

従って

国家の権威は国民に由来し、

国民の代表者がその権力を行使し、

その結果もたらされる福利は国民がこれを享受

しなければならない。

となる。


続くCは短い文であり、使用される語句に、特に問題はない。

文Dは、

D:われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

となっているが、これから憲法を制定するときに、一切の憲法を排除する、というのは、ちょっと違和感がある。これは、排除すべき憲法が大日本帝国憲法であることを明示していないためだ。これから制定するのが「新しい憲法」であることを、どこかで明示することで、より意味が明確になるだろう。


以上で、各文の意味の明確化は終わりであり、次は、前半部の主張に合わせて、各文の順序を変える


C:これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

Cは、Bの主権在民(これ)が普遍の原理であり、それを、日本国憲法の基礎とする、と主張している。

つまり、この文章が、Bの主権在民とAの憲法のつなげているのだ。

だとすると、文の並べ方が悪い。


現状だと、

A:制定する憲法は、、、、

B:主権在民の解説

C: 主権在民は不変の原理なので憲法の中心的考えにする

となり、Cを読んで、初めてAとBの関係が解ることになる。これでは、ストーリーがきれいに流れない。


もっと素直な並べ方は、

B:主権在民の解説

C: 主権在民は不変の原理なので憲法の中心的考えにする

A:だから、制定する憲法は、、、、

だ。入れ替えることにしよう。


D:われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

Dの文章も、Aの前に無いとおかしい。こうした作業は、憲法を制定する前に行うべきだからだ。


以上の訂正を取り込んで、前半部を書き下したのが以下である。


(B)国家が持つ権力は、国民の厳粛な信託によるものである。

したがって、国家の権威は国民に由来し、国民の代表者がその権力を行使し、その結果もたらされる福利は国民がこれを享受しなければならない。

(C)これは、憲法を含むすべての法令の基となる人類普遍の原則であり、(D)いかなる憲法、法令、詔勅もこれに反してはならない

(A)上記の考えに基づき、日本国民は、ここに新しい日本国憲法を制定し、主権が国民に存すること、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動すること、を宣言する。この憲法に則って行動することで、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことなく、諸国民との協和による成果と自由のもたらす恵沢を、確保することができるだろう。


どうだろうか。解りやすくなった半面、当たり前のことを当たり前に書いてあるように感じる。でも、科学ライティングなので、それでよいのである。

どこをどのように校正するか、また、その理由をかなり詳しく書いたので、校正作業の考え方が、わかっていただけたと思う。参考にしていただければ幸いです。後半部分に関しては、ほぼ似たような内容なので掲載しませんが、もし希望があればアップします。

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Shigeru Kondo, Ph.D. Professor


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