• Shigeru Kondo

1: Belvedere(展望台)

最終更新: 2018年4月8日



上は、エッシャーの代表作の一つ、「belvedere(展望台)」である。描かれているのは、山の上にある展望台と、そこにいる何人かの男女。服装などから察するに、中世のヨーロッパだろうか。写実的な細密画だ。建物の構造も、極めて正確に描いてあるように見える。だが、注意深く見るとなんだかおかしい。 二階の内部に梯子が立てかけられており、それを2人が登っていこうとしている。2人は、建物の中から登り始めたはずなのに、いつの間にか外に出てしまい、外から3階に入ることになるのである。なんなんだ?これは??


よく見ると、2階部分と3階部分の床の方向が変である。2階も3階も長方形だが、長辺が平行であるべきはずなのに、捻じれているように見える。にもかかわらず、そんな捻じれなど無いかのように、柱でつながっている。むちゃくちゃな構図だ。でも、そんな無茶をしているのに、ちょっと見には、至って自然に見える。この辺が、エッシャーのすごいところであり、魅力なのだ。


騙し絵はたくさんあるが、エッシャーのトリックを真似たものは少ない

このような絵は、一般的に「だまし絵」というジャンルに分類される。だまし絵は、人の目に留まり、興味を持たれやすいので、現代では、グラフィックアートとして世の中に氾濫している。試しに「だまし絵」をキーワードにしてネットで検索してみよう。ものすごくたくさん引っかかってくる。

皆さんも見覚えがあるものが、いくつかあるでしょう。しかし、作品はたくさんのあるのだが、そのトリックのバリエーションは多くない。分類すると、「一つの物体の輪郭に別の物体の輪郭が浮かび上がるもの」、「2通り以上の解釈ができるもの」、「平面に描いた絵が3Dにみえるもの」、となり、たいていはこの3種類のどれかに属する。だから、同じトリック使った作品が、ものすごい数のバリエーションで存在する。

しかし、不思議なことに、エッシャーのトリックを使った他者の作品、というのはほとんどない。是非、ネットでググって確認していただきたい。こんなに有名な絵であるにもかかわらず、ほとんど真似されていないのである。もちろん、そのトリックが解明されていない、ということでは無い。エッシャーの展覧会があれば、そのパンフレットに、ほぼ間違いなく解説がついている。それどころか、作品の中に「手品の種」が明示されているものまである。実は、このbelvedereがそうだ。階段の横でベンチに腰かけている男性が持っているのが「ネッカーの立方体」と呼ばれる、このトリックの肝である。



ネッカーの立方体

ネッカーの立方体は、スイスのルイス・アルバート・ネッカーにより1832年に考案された、錯視の立方体である。

この図では、立方体のフレーム(辺)だけが描かれている。辺が交差する点が二つある(丸で囲んだ部分)が、どちらの辺が手前にあるのかが示されていない。それぞれの交差点に対し、どちらが手前か、2通りの解釈がありうるため2x2=4通りの可能な立体図形が存在することになる。


4通りのうち、観察者が思い浮かべやすいのは、下のA、Bの場合である。3次元の立方体を異なる角度から見た図に対応する。A,Bどちらの解釈も可能なので、観察者には、Aに見えたり、Bに見えたりする。これが、ネッカーの錯視である。



立方体フレームの3次元的解釈としては、さらに2つの組み合わせが可能であり、それが下のC、Dである。いずれの場合も、どう頑張って眺めても、対応する3次元の構造を思いつくことができない不可能図形である。Cが、作品の中の男性が持っている木枠構造と全く同じであることをご確認いただきたい。Cでは、横の辺が2本とも手前に、Dでは縦の線が2本とも手前になっている。Belvedereの2階部分の柱を見ると、Dと同じになっていることを確認していただきたい。

このように説明すると、なんだか難しく感じるかもしれないが、具体的な作業としては、それぞれの柱の上下を、建物の前後逆のサイドに繋げることだけなので、至って単純だ。“基本的には”これだけで、不可能図形が出来上がるのである。



それでも、マネのできない理由がある

エッシャーのトリックを解説した本に書いてあるのは、ここまでである。エッシャー自身が書いた解説や講演もあるのだが、やはりここまでしか書いていない。確かに、仕掛けの一番重要なポイントは、これで尽くされているのであるが、いざ、この仕掛けを真似て、自分の作品を描こうとすると、すぐに、それが思いのほか難しいことに、気が付く。そのような絵が「まったく描けない」ということでは無いのだが、エッシャーのような自然で立体的な絵にはならず、不自然で違和感ありまくりの絵になってしまうのである。

その原因を教えてくれる解説書は、ほとんど無い。(筆者は今までに一つも見たことが無い)また、エッシャー自身による解説書にも、その点は一切触れてはいない。だが、自分で描いてみれば、必ず気づくのである。

「立方体の錯視と遠近法が、原理的に共存できない」

事に。

2種類の立体表現法

立体を、平面上に表現するには、いろいろな方法がある。

通常、ネッカー立方体で使われる等角投影法(isometric)の場合、同じ長さの辺は同じ長さに、平行な線は平行に描かれているため、どのような構造になっているかがわかりやすく、そのため、設計図などで多く用いられる。

確かにわかりやすいが、あまり立体的な感じはしない。なぜなら、現実世界においては、手前の辺は近くにあるので、奥の辺よりも相対的に長く見えるはずなのに、同じ長さで描かれるからだ。辺の長さの違いが無いので、手前にあるのか奥にあるのかが解らない。だから、物体の向きに対して、複数の解釈が可能になる。この性質が必要なので、ネッカーの錯視には、等角投影法でなければならない。



一方、代表的な遠近法(perspective)である2点透視図法が下の図である。この場合、平行線は、遠くにある「消失点」を通る直線となる。(消失点が2つあるものを2点透視図法という。)これで、なぜ立体的に見えるのかちょっと不思議だが、立体を写真に撮ると、これと同じになっているのが解るだろう。


遠近法を使うと、構図に矛盾を起こすことなく、近くのものは大きく、遠くのものは小さくなるため、立体感が感じられる「自然な」絵になるのである。下の図は、同じ3D図形を、等角投影法と遠近法で表現したものだ。等角投影法では、左図のように、上空から俯瞰したような角度しか選べないので、建物と同じ目線に立った右図のような構図は不可能だし、遠近感が生み出すリアル感の違いは圧倒的だ。



Belvedereの遠近法

ネッカーの錯視は、それぞれの辺が「近くにあるのか遠くにあるのか判別がつかない」ことが肝である。近くか遠くか解らないので、柱の接続に矛盾があっても、違和感を生まないのだ。しかし、等角投影法では、まるでリアルな風景画にはならない。ここで、偽エッシャーのほとんどが、頭を抱えてしまうのである。


以上の考察を踏まえたうえで、今一度、Belvedereを眺めてみよう。建物の直線部分を伸ばしていくと、正確な2点透視図法になっていることが解る。しかも消失点(平行線が交わる点)がかなり近くにあることから、遠近感が、かなり強調されている。当然矛盾が起きるはずだが、それが感じられないのはなぜだろう?

平面のまま考えるのは難しいので、この構図を3Dで再現して考えてみることにしよう。2つの直方体を、belvedereと同じような見え方になるように、3D空間に配置したCGが下の図である。Aの視点から見ると、belvedere と、ほぼ同じ構図になることがわかるだろう。これと同じものを他の角度(B,C)から見ると、2つの直方体の立体的な位置関係が解りやすい。3階部分は、1階部分に対して約80度回転して配置されているのである。


Aの構図は、belvedereと同じであるが、残念ながら、2つの直方体が平行であるように感じる錯覚は生じない。理由は明らかだ。遠近法が使われているために、3D空間での角度が感覚的にわかってしまうからである。1階部分は右に向かって遠くなっていくから、左が大きく、右が小さく描かれる。3階部分は逆なので、右が大きく、左が小さい。この左右での大きさの違いが、直方体の角度の情報になるので、上下の直方体が平行でないことが解ってしまい、無理やり柱でつないでも、違和感を生じてしまう。遠近法を用いる以上、左右で直方体の大きさが異なるのはいかんともしがたい。困った。だが、ここでエッシャーは大胆な技を使うのである。



遠近法の矛盾をごまかすトリック

以上の考察を踏まえて、もう一度belvedereを、良~く眺めてみよう。

あからさまな細工が見つかります。

左の図の3階の屋根(白丸で囲った部分)に注目していただきたい。3階の丸屋根の左部分が、ここだけ不自然に高くなっている。で、下の図が、屋根をフラットにしたもの。(白丸で囲んだ部分を切り取り、下に平行移動)



なんの細工もなしに遠近法を使うと、こうなってしまう。建物の左部分で、2階と3階の高さの差があらわになってしまい、違和感ありまくりだ。これでは、台無しである。そこで、エッシャーは、この部分の屋根だけを高くする、という建物の設計変更をする。そうすると、不思議なことに違和感が大幅に軽減するのだ。展望台の機能としては無意味な設計変更だが、だまし絵の作品になると、極めて自然に感じられ、完成度が高まる。実は、私自身、この部分が高くなっていること自体に、最初の頃は気が付きませんでした。


同じことが1階部分にも言える。1階の左下の部分(牢屋の下の部分)が、テラスの床下に隠れてしまっており、同じフロアの右奥と、大きさを比較することができないのである。だからここでも、遠近法による左右の大きさの違いは、明示されない。そのため、特に注意深く見なければ、各フロアが、平行に並んでいるよう(上図)に錯覚してしまう。3階部分と、1階部分で、ほとんど同じ方法を使い、左右の大きさの違いを軽減していることから考えても、このデザインが、意図的計算なのは明らかだ。手品の種は、ネッカーの立方体だけではないのである。


実は、よく見ていくと、これ以外にも複数のトリックが仕掛けられており、それらの組み合わせで、普通に描いたら違和感ありまくりになるはずの構図が、自然に見えるようになっている。もちろん、Belvedereだけでなく、エッシャーの他の作品も同じである。是非、ご自分で探してみてください。見つかると、やったー!という気分が味わえます。それらの手品の種については、別のコラムで解説させていただきますので、お楽しみに。

謎解きの先に見えるもの

さて、このように不可能図形の謎を解いていくのは、それ自体が楽しいものだが、実は、それ以外にも、いろいろと興味深いことが解ってきて面白いのである。まず、一つ目は、作品を作り上げる過程の、エッシャーの考えをたどることができること。例えば、Belvedereを描くときの思考過程は、たぶん、こんな感じだったのではないだろうか。


むむっ、このネッカーの立方体、おもしろぞ。これを使って不可能建築を作れないか?柱で支えられた建物をつかうと、面白いだまし絵になりそうだ!、と試しに描いてみたが、あれれ、全然ダメ。なんかおかしい。違和感ありまくりでうまくいかない。考えてみれば、そもそも、遠近法がつかえないじゃないか!かといって、等角図法じゃ風景画にならないし。何とかごまかさないと、、、んっ?ここの屋根を高くすると、違和感ぐっとへるかも。おー、思ったとおりだ。すげえっ。それと後は柱の間隔をこうして、、、おー、ついでに背景を、、、、いやいや、これも素晴らしい、、、


根拠はまるで無いが、たぶん、こんな感じだったのではないかと。こんなふうに考えていくと、単なる作品の鑑賞を超えて、自分が、エッシャー思考過程を追体験できたような気分になれて、とても楽しいのです。是非、他の作品でも、タネをご自分で見つけてみてください。エッシャー気分を味わえますよ。


二つ目は、エッシャーが、なぜ、これらの謎について何も語らなかったのか?という問題。上にも書いたように、エッシャーは、晩年に自身の作品のトリックについていろいろな場面で解説している。友人がエッシャーにインタビューして解説した本、自身で書いた本、さらに、作品のトリックについての講演なども存在しているのだが、それらを読んでみても、内容は、とおり一片の解説でしかない。あるいは、単に、エッシャーの思想的な部分を語っているだけであり、結構、不満足に終わることが多い。エッシャーの不可能図形の場合、大元のネタは、ネッカーの立方体以外にも、無限階段、ペンローズの3角形などがあり、どれも、ネタ自体は数学的でとても単純。そして、それら自体はエッシャーの創作ではない。


それらについては、いやに饒舌に語り、作品の中に明示までする。しかし、自分が捜索した「不可能図形を自然に見せるトリック」の部分については一切語らないのである。なぜだろう。これはまた大きな疑問だ。おそらく、このあたりが、エッシャーの「芸術の価値」というところに深く関係している関係しているのではないか、と思われます。一つ一つの作品について謎を解き、さらに、残されているエッシャーの著作物を読み合わせれば、その答えが見つかるかもしれない。これも、エッシャーファンとしては、興味深いところ。


さらに3つ目の面白さは、エッシャーが発明した「手品の種」と同じものが、実は、自然界にも存在していることだ。エッシャーのトリックは、単に、錯視を生むだけのものではない。3次元図形を2次元画像としてしか知覚できない、人間の限界(というより、視覚というシステムの限界)と関係しているし、立体と表面のかかわりに関する物理的な問題にもかかわっているのです。それらを見つけられれば、さらに、エッシャーの作品に対しても興味が深まることになるだろう。


このHPでは、以上の3つの問題を絡めて、エッシャーの作品について「これまで、どこにも語られなかった謎」を解明していく予定です。一つ一つ謎を解いていく度に、エッシャーの考え、人生、自然界とのつながりが解ってくる、そんなコラム集にしたいと思っておりますので、どうかご期待いただけると嬉しいです。

それでは、初回はこれまで。

お付き合い、ありがとうございました。

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Shigeru Kondo, Ph.D. Professor


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