• Shigeru Kondo

3: 無限階段と無限音階(前編)

最終更新: 2018年6月29日




無限階段

エッシャーの不可能建築版画の中でも、最も著名なのが、この「上昇と下降」である。

一般には無限階段の名で記憶している人も多いだろう。


建物は中世の修道院だろうか。無表情な修道士?たちが2列に並んで逆向きに階段を上って、あるいは降りている。だが、一周回ってくると、なぜか元の場所に。しかし、修道士たちは、文句も言わず驚きもせず、ひたすら階段の上り下りを続ける。何かの修行なのだろうか。だとすれば、なかなかブラックな修行だ。


面白いことに、下の階に、修行をさぼっている修道士も2人いる。後で、罰を受けるのではないかなあ、とちょっと心配になる。版画を見ている者は、「こんな階段を上らされたら、嫌だろうなあ。」とか、「しかし、進んでいると思っていた仕事が、結局徒労に終わった時なんか、こんな感じだよなあ。」とか考えこんでしまうのである。不毛な行進を続ける修道士に同情したり、逆に慰められたりもする、実に人間的な絵なのです。


もちろん、こんな建築物は存在しえない。しかし、細部を見ていく分には、矛盾は無いように見えるし、不自然さも感じない。全ての階段にはちゃんと段差があるように見えるので、修道士たちは、間違いなく登って(あるいは降りて)いる。でも、登り続けるのに登っていかない。あるいは、降り続けるのに降りていかない。なにか、哲学的な意味を感じてしまいそうな、だまし絵の傑作なのである。


無限音階

一方、これととても似た感覚をもたらす音響効果がある。その名も「無限音階」。無限階段と同じように、永遠に上がり(下がり)続けるように聞こえるのに、実のところ、ちっとも上がって(下がって)行かない不思議な音列なのだ。


たとえば、ドから始まって音階が上がっていく場合、ド、レ、ミ、ファ・・・と一音づつ順に高くなっていき、1オクターブ上のドを超えてもさらに続いていく。このあたりまでは、まだ特に不思議な感じはしない。しかし、3オクターブ、4オクターブと音階が上がったはずの頃にふと気付くのである。「あれっ?最初とおんなじ高さじゃないか?!ドレミ・・・と上がり(下がり)続けているはずなのに」。もちろんこれにはカラクリが有るのだが、どんなに注意深く聞いていても、どうしてそうなるのかさっぱり分からない。もちろん、逆に下がっている音階でこの錯覚を生みだすことも可能である。上昇と下降の二つの無限音階を同時に演奏すれば、エッシャーの版画とそっくりの状況が生まれる。版画の中の修道士一人ひとりが、ドレミの各音階に相当するわけだ。


(ネットに無限音階の例がアップされていますので、是非、体験してみてください)

http://www.kecl.ntt.co.jp/IllusionForum/a/ever_ascendingScale/ja/

http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/02/this-musical-illusion-will-make-you-question_n_5750342.html


さて、エッシャーの無限階段と無限音階には、空間と音の違いはあるが、それを体験した人の中に生み出す感覚は、とても似ている。

上がっていく感覚はあるのに、上がっていかない。

下がっていく感覚はあるのに、下がっていかない。


だとすれば、そのトリック(タネ)の根底に何らかの共通性が有るかもしれない。どうでしょう。もしあるとしたら、いったいそれがどんなものなのか、知りたくありませんか?


無限音階のトリック

と言う訳で、以下、2つのトリックのネタばらしをしていくのだが、まずは無限階段の解説からはじめよう。一見難しそうだが、皆さんが、自分でこのだまし絵をかけるように、解りやすく解説しますので、ご心配なく。


無限階段の版画は、階段だけでは無く、鐘楼を含む複雑な構造物が配置され、さらに、2列になって行進する修道士も描かれている。かなり複雑である。実は、これ等は、仕掛けたトリックを隠すために重要な働きをしているのだが、それは後で解説するとして、まずは、トリックの根本を理解してもらうため、できるだけシンプルな構造からはじめたい。できれば、これを読みながら、一緒に作ってみることをお勧めします。


まず、厚紙を用意してください。それをドーナツ状に切り出して、一か所で切断し、それにちょっとひねりを加える。すると、短い螺旋状の構造ができる。それを、色々な角度から見たのが下の図a~eだ。


aのように真横から見ると、手前と奥の部分が重なって見える部分は無く、全体に、サインカーブに似た形にみえる。


徐々に手前に傾けて、螺旋階段を斜め上から見るようにすると、b、c、dのように、見え方が変わる。c、dでは、見た目に、手前と奥が交差して重なる点ができるのが解るだろう。


eのように真上からに視点で見ると、両端が重なって見えるので、ドーナツ型に見える。


この上を修道士に歩かせるとどうなるか。


まず、aのように横から見た構図では、皆さん上に(下に)行ってしまいます。これだと普通の階段と同じ。何も不思議でない。一方、eの真上からの視点だと、両端がつながって円になっているので、無限にぐるぐる回っていられそうだ。だから、真上から見た構図なら、無限階段を描くのは簡単なのだ。しかも、真上からだと、頭(と肩)しか見えないから、修道士が登って(降りて)いる様子が判らない。だから、だまし絵の作品として成立しないのである。



修道士が登っている様子を見せて、なおかつ、無限にぐるぐる回れるようにするには、上図のように、交差点ができる斜めの角度にしておいて、交差点で下の階に「判らないようにジャンプ(黄色矢印)」すればよい。こうすると、登っているようでいつの間にか一周分下に行ってしまうので、いつまでも登り続けられる。無限階段と同じだ。基本的な理屈は以上のとおり。実に簡単である 。


しかし、実際の作品の様なディティールを描きつつ、違和感なくこれをやるのは、そう簡単でない。現実にはありえない構図になるのだから、何かをごまかさないといけないのだ。


例えば、“判らないようにジャンプ”すると言っても、上と下の階では、遠近の差が有るので、大きさだって異なるはず。素直にやれば、下の階の修道士が小さくなってしまい、ごまかしがばれる。遠近法をうまくごまかさねば、不自然になるのである。また、四角い階段は、角度により見え方が大きく変わるので、仰角(この場合は見下げる角度)以外にも、水平面での視点の位置も重要になる。


3次元構造の話は言葉で説明するのが難しいので、これも、現物を作って説明しよう。今度は、厚紙ではなくレゴを使う。で、作ってみたのが下の作品である。




先ほどの螺旋の厚紙とは異なり、階段になったことで明らかに利点が有る。それは、「階段」が有ることで、上下方向の違いを強調できる事だ。元の版画を見てみよう。




本来なら、平面の「絵」では、確実には表現できない上下方向の方向性が、外壁と階段の段差で表現されている。しかも、4つの階段全て段差が見えやすいように角度を選んでいるのがよくわかる(楕円で囲んだ部分)手すりもちゃんと段々である。直線的な手すりでは、登って(降りて)いることを表現しにくいので、段々の手すりである必要があるのだ。



いちばんよく見える水平角度を決める

視点を水平面で動かして、階段が一番良く見える角度を探すと、下図のようになる。


全ての階段の段差がちゃんと見えるのは階段のコーナーの方から見たとき(階段に対して45度)だけで、横、あるいは前から見ると、視線と平行な角度の階段の段差が判らなくなってしまう。だから、視点の水平角は、版画の構図と同じように45度付近でなければならない。


仰角を決める

次は、仰角である。水平角を45度に保ちつつ、2辺が交差するように斜めから見下ろしてみる。



交差した点からはみ出た部分(丸の網掛け)の階段を消去すると、上下がつながってみえるので、無限階段っぽくなるのが解るだろう。仰角は、左から約60度、50度、40度である。では、どの角度が一番良いだろうか。60度だと、階段の段差が見えにくい。しかし、一方で、はみ出る部分が小さいので、四角形のゆがみは少ない。40度の場合、階段の段差はとても見やすい。しかし、はみ出す部分が大きいので、四角形のゆがみが不自然に大きくなる。総合的に見て、50度~45度位が無難な感じになる。エッシャーの構図と比べていただきたい。ちゃんと50度付近になっている。おそらくエッシャーも、模型を作って最適の角度を割り出したのだろう。


だが、ここで別の問題が起きる。交差した部分をつながっているように見せようとしても、視点からの距離が違うから、接合部で大きさのギャップが生じてしまうのだ。当たり前のことだが、2次元に近くの物は大きく、遠くのものは小さく見える。だから、普通にこれを撮影すると、




上のようになる。手前と奥で、大きさにずれができているのが解るだろう。特に交わった部分(白丸で囲った部分)の大きさが違うのが困る。これをなんとかしないとスムーズな絵にならないし、並んでいる修道士が急に大きくなったり小さくなったりするのは、どうしても避けたい。


ではどうするか。遠くから見ればよいのである。



上は、同じ角度で、しかし、遠くから撮影した図である。

踊り場の大きさの違いがなくなり、違和感無くつながっていることが解る。遠くから撮影すると、わずかの距離の違いは見えなくなってしまうので、手前でも奥でも、ほとんど同じ大きさに写るのである。要するに、遠近法の効果を消すことで、違和感をなくしているのだ。


よくそこまで考えるなあ、、、と感心してしまいそうになるが、実はまだその先がある。遠近法が使えないことで、別の問題が起きるのだ。四角形の歪みである。この無限階段の四角形は、異様に歪んでいる。しかし、我々はそれにあまり違和感を感じず、本当はちゃんと四角いのだろう、と受け取ってしまう。それはなぜかというと、我々は、正方形でも見る角度と遠近感によってゆがんで見えることを「知って」いるからである。

四角形の歪みと遠近は常にセットである。だから、ゆがんでいるのに遠近感が無いのは、おかしい。無意識の記憶から違和感が生じるはずなのだ。


上のレゴの階段の段数をよく見ていただければわかるが、弧のレゴ模型は、階段の段数をエッシャーの版画と同じにしてある。不自然に歪んでいることを感じないだろうか。


一方、エッシャー版画の方も、上の写真を見た後で、「階段部分のみ」に注目してよく見れば、ひどく歪んでいることが感じられる。


特に、左手奥の階段が、異常に短くなっているのが、あまりにも不自然である。

しかしながら、版画全体を見ると、驚くほど違和感を感じない。

なぜだろう?

理由は、エッシャーの作品には、違和感を減らす工夫がほどこされているからだ。


その工夫の一つ目は、下向き矢印で示した「かまぼこ」の様な構造である。



この構造が階段の向こう側についているために、左手奥の短い階段が、黄色の矢印で示すところまで長く伸びているように錯覚してしまうのだ。すると、短かすぎる辺が長くなるので、違和感が少なくなる。もちろん、反対側の辺も長く見えてしまっては意味がないので、そっちは鐘楼で隠してある。いちいち手が込んでいるのである。一件、無用に見える構造物も、ちゃんとカラクリの一部なのだ。


さらに、修道士たちも、このイリュージョンに一役買っている。上で説明したように、本来ならばつながらない階段をつなげるために、遠近によって生じるはずの大きさの違いを意図的に小さくしている。具体的には、手前と奥の修道士の大きさを違えて描かないといけないはずなのに、それをしていない。しかし、四角のゆがみを不自然に見せないためには、大きさの違いが有った方が良い。どうすればよいか?


ここで修道士の姿勢をよーく見てほしい。気が付きましたか?そう、姿勢が登りと下りで違うのである。



手前と奥の修道士を拡大してみると、頭や手足などの修道士の体のパーツは、ほぼ同じ大きさである。これは、構造物に遠近法が使えず、人物と構造物の大きさの比も変えられないので仕方が無い。しかし、ぱっと見には、右の修道士の背丈が小さく見える。なぜかというと、背中を丸めているのと、階段を上っているために、前に出ている足を曲げているからだ。このため、奥の階段にずら~~っと並んでいる修道士全員の背丈が小さく感じられ、疑似的に遠近法の効果が生じて奥行き感が出るのである。いやあ、さすがはエッシャー、よく考えてあります。


以上をまとめると、3次元から2次元への螺旋の投射を利用したトリックによる違和感を、構図上の工夫により絶妙にごまかしているのが、この無限階段なのである。ご理解いただけましたでしょうか?


後編に続く

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Shigeru Kondo, Ph.D. Professor


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