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執筆者の写真Shigeru Kondo

コンドルは飛んでいる、メンデルは跳んでいる

最高の生物学者は誰か?

生物学者(あるいはその卵)なら誰でも「歴史上最大の発見をした生物学者は?」という話題で盛り上がったことがあるはずだ.物理学なら,おそらくニュートンかアインシュタインで決まりだろうが,生物学は幅が広いので,各人の興味によって意見が分かれそうだ.例えば候補者は,アリストテレスから始まって,分類学の創始者リンネ,ペニシリン発見のフレミング,細菌学のパスツール,免疫のジェンナーなどなど.日本には進化ファンが多いから,ダーウィンを推す人が多いかもしれない.進化論は,宗教的な反発のために大きな論争を巻き起こしたし,ビーグル号の航海記は古典的な名著だし,ダーウィンの連れ帰ったゾウガメが,今でもロンドンの動物園にいたりして,話題に事欠かない.

 しかし,筆者としてはダーウィンの同時代人であるメンデルを推す.理由は,メンデルの発見は近代生物学の中核であり,これがなくては,現代の生物学はありえなかったからである.それに比べると,進化論は,まあ,あってもなくても,特に困らなかったのではないかと思う(無論,そのことと,面白いかどうかということは別である).


メンデルの発見は無視されてしまった.なぜ?

メンデルの法則は,生命科学における最重要法則であるにもかかわらず,ほぼ無視されたまま,再発見までの40年近くを過ごすことになる.その間にメンデルは亡くなってしまっているので,ちょっとかわいそうだ.なぜ,これほど重要で,しかもわかりやすい発見がすぐに広まらなかったのだろう?  ダーウィンの進化論が,実用性がほとんどないうえに宗教的な反感があったにもかかわらず,すぐに広まったのとは対照的である.


メンデルは田舎の修道士ではあったが,発表の仕方に問題があったわけでもない.遺伝法則の研究の発表を行ったのは地元の研究会であったが,ちゃんとした生物学者の集まりである.また,同時に論文を自費出版して,著名な学者の多くにも送っている(後にダーウィンのデスクの上からも発見された).対立する理論があったわけでもない.にもかかわらずメンデルの仕事は,何の注目を浴びることもなく,無視されてしまったのだ.  


メンデルの法則が当時(1860年頃)としては先進的すぎた(生命の自然発生説がパスツールによって否定されたのは1881年である)ことが原因の1つだったかもしれない.とはいえ,遺伝法則を知れば有利になる職業,例えば農産物や家畜の育種に携わる人は,当時でもたくさんいたのである.法則の単純さと有用さを考えれば,当時のレベルから飛躍しているということだけでは40年という空白の時間の説明としては十分でないように思える.何か他にも理由はあるに違いない.


実際に論文を読んでみた……すると

その理由を探ってやろう,と思い,ネットの古本屋サイトで,メンデルの『雑種植物の研究』の日本語訳(岩波書店,岩槻邦男・須原凖平訳)を見つけ出し,取り寄せて読んでみたのである(すいません.ドイツ語読めないもんで(T_T)).


で,どうだったか?  う~ん,こりゃあ,当時の生物学者がわからなかったのも無理はないなあ.そんな論文である.しかし,なんで,そんな書き方になったのかを落ち着いて考えてみると,俄然面白くなる.生物学史上最大の発見がどのようになされ,なぜそれがメンデルだったのかが,わかって(ような気がして)きたのである.いやぁ,さすが古典は奥が深い.


短い!

まず最初に,意外だったのはその長さである.日本語の文庫本で68ページなので,英文ならA4で15ページくらいだ.ダーウィンの『種の起源』のような長大なものをイメージしていたので,これにはちょっと驚いた.当時としては非常に画期的な内容の論文が,この短さだとさすがに読者 を理解させるのは難しかろうと思う.でも,まあ長いから良いというものでもない.やっぱ内容だよな,と思いつつ読んでいくのだが,どうも違和感があり引っかかる.この論文は,「エンドウの掛け合わせ実験の結果から,遺伝法則を導き出す」という構成だと思い込んでいたが,そういう書き方になっていないのだ.


メンデルの法則を知らないと理解できない?

まずイントロダクションで,これまでに遺伝法則を見つけようとして失敗した例について簡単に紹介している.失敗した理由は,適切な実験対象を選ばなかったことと,やり方が徹底して(特に個体比率のカウント)いなかったからだと述べている.イントロを受けて,次の章では,どうやってエンドウと着目した遺伝形質を選び出したかを説明していく.

この辺の流れは,実にわかりやすい.ただし,メンデルの法則を熟知している我々にとっては,であり,そんな法則は考えたこともない人たちにとっては,たぶんそうではない.

 例えば,純系を使う必要があるので,2年自家受粉して安定なものを選ぶとなっているが,それは分離の法則を知ってないと,理解できないはずだ.それにF1の形質が完全にどちらかの親と同じになるものを選んでいるのだから,最初っから優性の法則も知っていないと読みづらい.さらに結果(result)の章を読むと,雑種世代を表現する記号として,何の説明もなくAaとかAaBbとかいきなり出てくる.この表記法自体がメンデルの法則そのものであることは,言うまでもない.

つまりこの論文は,遺伝法則の大部分(少なくとも優性の法則と分離の法則の一部)を実験の前提(あるいは仮説)にして書いてあるが,それがちゃんと明示されていないのである.だから,遺伝法則を熟知していれば,「なるほど,遺伝法則は成り立っている」とわかるのだが,そういうアイデアを持たない人にとっては,ちんぷんかんぷんなのではなかろうか?


数式への過度なこだわり

遺伝法則が前提なのであれば,この論文でメンデルがやっていることは何なのか?  論文では,雑種を自家受粉させたときの結果から,雑種の種がホモであるかヘテロであるかを調べ,それをF2,F3,さらにはFnまで調べるという作業をする(図2).分離の法則が前提となっているのになんでいまさらと思うかもしれないが,これは,両親から来た遺伝因子が「均等」に分配されることを確認するという意味があることはある.が,不必要に詳しすぎて,読むのがつらい.そもそも,分配比率が世代ごとに変化するとは思えないので,F2までやれば,それ以上は必要ないはずだ.

しかし,メンデルはF3でこれをやり,さらにしつこく,同じ掛け合わせを繰り返したときのFnの分離比率を,数列Gnの一般解として求めているのである(図2).しかも,「級数」とか「展開式」とかやたらに数学的な概念を持ち込もうとするので,まるで数列の問題を解いているようだ.1章全部を使って,雑種N世代の分離比が,2n-1:2:2n-1,となることを導くのだが,だからなんなのよ,と言いたくなる.この式は数式としては確かに美しいが,もはや遺伝法則の真否とはほとんど関係ない

理解されない原因はわかったが,,,

というわけで,メンデルが理解されなかった理由は,論文を一読しただけで明らかになってしまった.理論先行の実験であるのにそれを明示していないこと,それと,不必要な数学性である.発表当時の平均的な生物学者がメンデルの真意を理解できなくても,まあ,文句は言えないだろう.しかし,時代に先駆けて遺伝法則を見つけたほどの異才が,なんでまた,こんなわかりにくい論文の書き方になってしまったのだろうか.その答えは,おそらくメンデルの受けてきた教育にある.


意外! メンデルは物理学者だった!

グレゴール・ヨハン・メンデル(1822年~1884年)は,オーストリア帝国のハインツェンドルフに小自作農の子として生まれた.オロモウツの学校で2年間学んだ後,1843年に聖アウグスチノ修道会に入会した(wikipedia).メンデルの研究は修道院の農場で行われたことから牧歌的な研究風景を想像してしまいがちであるが,メンデルの所属した修道院は哲学者,数学者,鉱物学者,植物学者などを有し,研究や教育が行われていた.かなり学術的な環境である.メンデルは修道院の中で,数学とギリシア語を教えていたらしい.さらに名門ウィーン大学に留学した経験もある.そこで,ドップラー効果で有名な クリスチャン・ドップラーから物理学と数学を学んでいる.そうなのである.メンデルは,当時としては最先端の物理学者だったのである.だから,理論先行はむしろ当然のことなのだ


論文が理論先行である必然性

それによく考えれば,この実験は,最初から3つの遺伝法則を前提にしていなければ,うまくいくはずがないのだ.  メンデルの実験では,使った実験材料,遺伝形質などは,注意深く「証明に都合の良いもの」を選んでいる.法則を導き出すためには,1つの形質が1つの遺伝子によって規定されているものであることが絶対的に必要であるが,現実には多数の遺伝子によって規定されている性質の方が多い.また,連鎖する形質を選べば「独立の法則」は成り立たないし,勝手に自家受粉してしまう植物や,不和合性の問題など,法則の導出を妨げるトラップは無数にあるが,そうした無数の落とし穴をことごとく避けているのである.そんなことは最初から遺伝法則を知らなければ無理に違いないのだ.というわけで,論文が理論先行型になったのは,メンデルの経歴からしても,問題の性質からしても,まあ必然だったのだろう.


残る疑問.どうやって仮説を思いついたか?

さて,だんだんとわかってきたが,まだ疑問が残っている.論文が理論先行だとすると,メンデルはどうやってその着想(あるいは仮説)を得たのだろう.さらに,どうやってその仮説を,8年という時間をかけてまで検証するほど「確信」できたのだろうか?  メンデルの実験は,彼がウィーンから帰ってきた直後に開始されている.ということは,実験の着想を得たのはウィーン留学中の可能性が高い.もしかすると,ドップラーのアイデアなのかも……というのはさすがに飛躍しすぎだが,いずれにしろ,実験事実があったわけではなさそうだ.  でも,そうすると,純粋に思考(演繹)で導いたということになってしまう.そりゃあいくら物理学者だったとしても難しすぎないか? と思う読者も多いだろうが,これが,意外と難しくないのだ.


純粋な推論で,メンデルの3 法則を導く

まず,「雑種同士を掛け合わせると,親には似ずに,前の世代とそっくりの子が現れることがある」という事実はメンデルの時代にも知られていた.このことから,当時主流であった混合説(遺伝する因子が不可逆的に融合し,中間性質を持つ遺伝因子が生まれる)が誤りであることが明らかだ.融合しないのであれば,子の中では,両親に由来する遺伝因子は,受け継がれたままの状態で存在しているはずだ.子は両親からそれを受け継ぐのであるから,必然的に2個(1対)持っていなければならない.当然,親も同じ量の遺伝因子を持っているはずである.つまり親も2個である.このことから,子ども世代を作るときには,親は自分の持つ2個の遺伝因子のうちの1つを子に渡す,のでなければならないことがわかる.


 これで分離の法則が出来上がりである.驚くほど簡単な推論で,生物学史上最重要の答えにたどりつけてしまうのだ.残りの2法則は,分離の法則を前提として,対立遺伝子間の関係(優勢の法則)と異なる遺伝子間の関係(独立の法則)を規定したものだ.両方とも複数の可能性があり,そのどれもが現実世界に存在する.メンデルは,問題を簡略化するため,複数の可能性のうち1つだけを選んでいる.  


優勢の法則は2つの遺伝因子のどちらが表面に出るかを考えたものである.可能性としては,「どちらか優位な方のみの性質になる」「平均的な性質になる」の2通りだ.メンデルは,理論の説明がしやすい前者のみを採用しているが,現実には両方の場合がある.  


独立の法則は,遺伝因子と複数の形質の関係を考えたものである.可能性としては,「①1個の遺伝因子にすべての形質が乗っている」「②遺伝因子は複数あり,1個の遺伝因子に複数の形質が乗っている」「③1個の遺伝因子には1つの形質しか乗っていない」の3通りある.連鎖がある場合①か②になるが,メンデルは注意深く連鎖しない形質の組み合わせで実験しており,③の結論を出している.これも,③のほうがシンプルで理論の説明に楽だと考えたからだろう.  


というわけなので,メンデルの3法則は,純粋な推論で結構簡単に導き出せるのである.もちろん誰にでも,ということはないが,遺伝に興味を持っていた学者であれば,同じ答えに行きついた人はいたのではあるまいか.


仮説を信じる根拠は?

さて,理論自体を思いつくのは,そう難しくないことはわかった.だが,むしろ問題はここからなのである.思いつくのは簡単でも,それを確信するのは至難である.なぜなら,メンデルの法則にぴったり合う例など,そう簡単に見つからないからである.目の前に仮説に合わない事実がたくさんあれば,誰だってそれを信じて証明する気になど,ならないだろう.


 メンデルが,運が良かったわけではない.彼が非常に注意深く法則に合う形質を選んでいる,ということは,メンデル自身が,「大抵の場合この法則は検証されない」という事実を誰よりもよく知っていたことを意味する.にもかかわらずメンデルは,自説の正しさを確信したのである.メンデルの真の偉大さは,この点にあると思うのだ.だが,その根拠は一体何だったのだろう?


美しい理論は正しいのだ.たぶん.

なんの証拠もないが,筆者はメンデルに遺伝法則の正しさを確信させたのは,法則自体の「数学的美しさ」ではないかと思っている.  想像してみよう.メンデル以前には,遺伝現象はそれぞれに個別的で混沌とした現象という認識だったはずである.それが,メンデルの3法則をイメージした瞬間に,規則的で必然的なものに変化する.


遺伝因子は,世代を重ねても不変であり,各個体の性質は,因子の組み合わせによって無限の可能性を持つ.法則は,単純でしかも対称性(雌雄間,世代間)が高い.じつに美しい! こんなすばらしい理論が間違っているはずはない! と思うのが,人情ってもんです.メンデルは,この美意識に人生を賭けたのだ(と思いたい).


なんだ,その非科学的な理屈は! とお思いでしょうか?  でも,皆さんも経験があるはずです.入試の数学で,「点を○○○という条件で動かしたときにできる軌跡を数式で求めよ.」という問題を解いて,答えが原点を通る円などの「きれいな式」になったとき,「これは正解だな!」と思ったことが.  


どんなすばらしいアイデアも,仮説の段階では根拠はない.だから,それを信じて実験するには,何かの思い込みが必要だ.その根拠を「美しいこと」に求めるのはなかなか良いじゃありませんか.ディラック注1)も言っています.「数学的な美を持つ法則は,実験事実に合致する見苦しい理論よりも,より確からしい.」と.これは,物理学者にとっては,かなり普遍的な美意識だが,同じ自然現象である以上,生物学に適用してもよいだろう.  


だから,メンデルに遺伝法則の正しさを確信させたのは,法則それ自体の美しさ,簡潔さだと思うのである.そうであれば,メンデルがこの論文ですべき最重要なことは何か? それはもちろん,この理論の「数学的な美しさ」を強調することである.  


そう考えることで,論文の中で意味不明にしか見えなかった数列計算の意味が浮かび上がる.任意の世代の分離比が美しい数式で表せるのは,この法則が正しいからだ.メンデルはそう言いたかったのに違いない.


さてこの話の教訓は?

と,こんな具合にメンデルの「雑種植物の研究」を読み込んでみたわけです.ほとんど筆者の妄想だと言えなくもないが,何かしらの真実はついているのではと,勝手に思っている.読者に「なるほど,そうかも」と思っていただければ幸いである.  


じつは,本稿を書く前に,ざっとこの話を文章にして,学生に見せたことがある.多くは,メンデルの洞察力に感じ入っていたのだが,何人かは,「仮説に合うものだけを取り上げ,合わないものを無視するというのは,科学的な方法論として問題がある.」と反論してきた.なかなか鋭い突っ込みであるが,それらの例外を考慮に入れれば,遺伝法則は永遠に出てこなかったのも事実である.  


生命現象は,関与する因子の複雑な絡み合いとして発現し,付加的な条件によって,背後にある真理が見えないものが多い.メンデルがやったように,見えない真理を論理で捉え,例外と なる事象を排していかないと,真理はその姿を現さない.筆者としては,一見並列的に見える現象の中から真理を的確に探り当てたメンデルの洞察力を評価したい.メンデル以前の研究者が,法則の導出に失敗した理由,また,1900年の再発見以前に,何人かの研究者が追試にすら失敗した理由は,メンデルと同じような確信を持たずに実験を行ったからなのだ.  


現代の生命科学の現場では,ゲノム解読以来の解析技術の急速な進歩もあり,すべての事象,遺伝子,分子に対して網羅的なデータ取得が行われるようになっており,その情報を駆使して新しい世界が切り拓かれるのではないかと期待されている.すべてを知れば,理解に至るというわけである.だが,そう簡単にいくだろうか?


現実に目に見える現象には,多数 の影響要因が絡んでいる.すべてを網羅してそれを平均的に眺めてしまっては,真理が例外に埋もれて隠されてしまう.ニュートンが古典物理学の最重要法則である運動方程式を導くことができたのは,空気抵抗や地球の引力の影響を受けざるをえない地上の物体をすべて無視し,天体の動きに本質があると見切ったからである.網羅的なデータはあふれているが,たくさんデータがあることと,意味を見いだすことはイコールではない.  


そういった状況を打破するには,メンデルのように何らかの新しい発想・イメージ・理論が必要であり,イノベーションはそうした新しいアイデアに依存するのである.そんなアイデアをどうやって得たらよいかは,もちろんわからない.だが,1つだけ言えることがある.


それは,データを集めただけでは答えは見えてこない,つまり,莫大な予算と大勢の研究員を抱える大先生だけにイノベーションをもたらす可能性があるのではない,ということだ.いやむしろ,大先生たちは組織の運営や予算獲得などの政治的な作業に関わらねばならないだけ,アイデアを思いつくだけの頭の余裕がなかったりするのである.  


メンデルの時代も,現在も,科学の新しい世界は,若い研究者の(精神が若ければOK)新鮮な発想が切り拓いていくものである.組織や集団の力,あるいは研究費の多寡ではない.特に若い諸君は,時代の常識や価値観にとらわれず,自分独自の発想・美意識を大切にしてほしい.なに? 自分はそんなに頭が良くないって? なあに,心配はいらない.メンデルだって決して天才ではなかったのだから.愉快なことにメンデルは,生物学史上最大の発見をした後でさえ,上級教師の試験に落っこちるくらい要領が悪かったのである.


参考文献 「雑種植物の研究」の日本語訳( 岩波書店,岩槻邦男・須原凖平訳) Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/ グレゴール・ヨハン・メンデル) MendelWeb(http://www.mendelweb.org/ ※ドイツ語と英語版が解説付きで読めます.

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