• Shigeru Kondo

共同さんかく、応募のしかく、ごかくの評価は得られるか?

このコラムは、約8年前に書いたものの再掲です。現状とは違っている点。時代錯誤な点もありますが、あえて、そのまま掲載します。多くの人に読んでいただくため、冗談等を加えて書いてありますが、内容は極めて真面目です。




「強敵」と書いて「友」と読む


強敵と書いて「とも」と読むのは,「北斗の拳」の世界である.マンガの中で,さっきまで闘っていた(と言うよりも,殺しあっていた)当人たちが,勝負がつくや否や「親友」になってしまうのには,さすがに「なんだかなぁ~」と感じたのは筆者だけではあるまい.でもまあ,「ライバルが最大の友人」というのは,結構あることかもしれない.スポーツなどの勝負の世界では,最高レベルに達した人間にしかわからない感覚があるだろうから,それを共感できるのは,ライバルだけということになる.究極奥義を極めた者なら,なおさらである.



「漢」と書いて「男」と読む?


北斗の世界で,もう1つ普通ではない読み仮名がふられているのが「漢」である.これは「おとこ」と読むのだ.ただし男であっても,出てくるや否や「ひでぶっ!」と爆死するザコキャラは含まれない.一目置くべき存在,という条件が付く.現実社会でも,「熱血漢」「正義漢」のように使われる(「痴漢」「悪漢」とかいうのもあるが,とりあえずそういうのは忘れてください).この言葉,その由来からすると,男というよりも「人」のほうが適切かもしれない.もともとは,中国の異民族王朝「晋(魏)」の時代に,中国人(魏の前は漢王朝)のことを「漢」と呼んだことに由来する.「漢= 男性」であることは確かだが,当時,公的な身分は「男」に限られていたためであり,特に性別を意識したものではなく,どちらかというと「人」という意味に近い.だから,女性の「熱血漢」や「正義漢」がいても,そんなにおかしくはないのである.



男女共同参画は「女性の漢」を増やす法律?


北斗の世界は,肉体の破壊力がすべてであるから,「漢」と言えば必然的に男性(というよりも,むしろ超人限定?)ということになるが,腕力が影響しない世界では,そのような必然性はない.例えば生命科学研究の世界ではどうか? まあ,北斗の世界とは言えないまでも,実績がものを言う競争社会である.したがって,各研究室のPIはそれなりに「漢」のはずである.もちろん,研究能力に関して男女の差があるとは思えないから,性別による制約はないはずだ.だから,ここでは「漢=人」のはずなのだが,皆さんご存知のように,教授と言えば男ばかりで,女性比率は5%未満である.これは他の国に比較して明らかに低い.教授会は,男性比率が高すぎて,きもちわる,いや,少々違和感がある.どんな比率が適正かはわからないが,個人的には,もっと,女性の比率が多いほうがうれしい.いや,そんな深い意味じゃなくて.


で,それを是正しようというのが,男女共同参画事業である.女性の少ない理由は,女性が,出産・子育てなどの時間・体力的なハンデを背負っているからであり,その点をサポートして社会進出を後押ししよう,というのがその趣旨だ.この考えは,国会で法律化されており,各国立大学法人は,少なくとも20%の教官を女性にするように努力目標を与えられている.そのため,各大学や学会にそれぞれ委員会が作られ,女性社会進出の啓蒙活動等を行っているわけである.



大学教官の女性限定公募はあり?


だが,啓蒙活動ごときで改善されるのであれば,元から,問題など起きないのだ.個々の人事選考で,あからさまに女性を有利に取り扱う,ということは倫理上できないから,努力目標はあっても,すぐに数値は改善しない.女性比率を上げることを約束した大学当局としては困ることになる.そのような中で2010年,いくつかの大学で教官の女性限定公募が行われた.改善しない男女比率を,もっと直接的なやり方で上げてしまおう,と言うわけである.う~ん.でも,これどうなんでしょうか? 基本的には女性比率を増やす,ということはいいんですけど,やり方にえらく問題がある気がする.だって,就職の性差別を堂々とやろうと言うのですよ.それも,実力主義のはずの研究の世界で.同じような違和感を持った人は多いのではないだろうか? インターネットを見ると,特に男性ポスドク,院生からの批判的な意見があふれている.だが,なぜかそういう意見は,表には出てこない.各男女共同参画のHPを見ても,限定公募の問題点に関しては,何も述べていない.むむっ,こ,これは,もしかすると,「タブー」という奴かもしれない.



限定公募の問題点


まず,問題点を正確に認識しよう.この女性限定公募に関わる問題点をネット上で拾うと,大体以下の3点に要約できそうだ.


1)成果主義の原則の放棄につながる

科学者は,より大きな成果を上げるために身を削っている.それができるのは,成果で自分が評価されるという信頼感があるからだ.それがなくなったら,やっていられない.論文のリジェクトの理由に,男だからダメ,女だからダメ,とあったらどう思うだろう? PIへの採用は,1論文の採否よりもはるかに重い.そこに男女の差を持ち込むということは,成果が絶対でなく,それ以上の判断基準があることになる.これはサイエンス全体のモラルの低下につながりかねない.


2)女性研究者に対する侮辱である

そもそも,女性は限定公募でなければ職に就けない,ということは,要するに女性は能力が低くてもよいと言っているのと同じである.これまでに普通の公募で採用された女性は不愉快には思わないのだろうか? またそうした考えが広がれば,女子学生の意欲をそぐことになり,逆に女性比率が減ることになりかねない.


3)男性研究者と女性研究者の感情的な溝が深まる

優秀な男性研究者が多数職にあぶれて就職できずに困っている状況で,女性限定公募を行えば,当然自分の性別を常に意識し,その有利不利を考えざるをえない.男女共同参画のゴールは「両性が自分の性別を気にせずに研究できるようになる」ということのはずなのに,むしろ逆行するのでは?


いずれも,深刻な問題であり,強引にこの方法を進めれば,大きな混乱を来すことになると思う.もちろんこの程度のことは,限定公募をする側も百も承知である.だが,それでも強行するのには,2つ理由がある.1つ目は,現在の限定公募の財源が,そのために設定された振興調整費であり,各大学は自腹を切らずに教官の数を増やせること.もう1つは,「法律(男女雇用機会均等法)で推奨されている」ということになっているからだ.だが,この2つの免罪符は,結構怪しいのである.確かに,エクストラのポストであれば,一見,男性研究者にとってデメリットではないような気がするが,じつは財源は5年分しかないので,その期間が過ぎれば,定員のポストが1つ減るのは同じことだ.だから,上記のデメリットは回避できないのである.さらに,「法律で推奨されている」,というのも,かなり微妙である.



法律は本当に推奨しているか?


募集要項には,女性限定公募を行う理由として,「男女雇用機会均等法第8条(女性労働者に係る措置に関する特例)の規定により,女性教員の割合が相当程度少ない現状を積極的に改善するための措置として女性に限定した公募を実施します.」とだけ記されている.つまり,法律で「女性限定公募をやれと言っている」のでやります,ということだ.本当にその解釈は,正しいのだろうか? 検証してみよう.以下が「男女雇用機会均等法」第8条である.


「前三条の規定は,事業主が,雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保の支障となっている事情を改善することを目的として女性労働者に関して行う措置を講ずることを妨げるものではない」


説明すると,1)「 前三条の規定」というのは,男女差別を,募集採用(第5条),配置昇進教育訓練(第6条),福利厚生(第7条)に関して,行ってはならないという条文のこと.このままだと,女性優遇は不可能なので8条の例外規定がある.

2)「 女性労働者に関して行う措置を講ずることを妨げるものではない」と言うことで,女性にのみ配慮すると言うことが可能になる.

3) ただ,女性優遇の方法に関して,「雇用の分野における男女の均等な機会および待遇の確保の支障となっている事情を改善」と定められている.

つまり,事業主に対し,女性の機会均等を障害する事情を改善するために,男女を区別した措置を行って良いよ,ということ.例えば,女性のみフレックスタイムにする,転勤をさせない,など.憲法本来の原則からは逸脱するが,現状を改善するためには目をつぶろう,という規定である.この条文を根拠に大学

で女性限定公募をやる場合に問題となるのは,(3)である.


条文は機会均等の障害になっている事情の改善を求めている.「女性教官の数を無理やりに増やす」のが事情の改善ならば,「現在女性教官の数が少ないこと」が機会均等の障害ということになる.要するに,「少ない原因は少ないからだ」ということだ.どう考えても,こじつけと言うか,拡大解釈のような気がする.だが実際に限定公募を推進する理由はそうらしい.女性の進出が遅れている分野では,「女性はその職業に向いていないという偏見があり,それが障害となっているので,それを払しょくするには,ある程度の人数(クリティカル・マス,というらしい)が必要」と言うのである.どうでしょう.皆さん納得できますか?



女性教官が増えない本当の原因は?


「限定公募で無理やり数を増やしてやれば,問題が解決する.」というのは乱暴な理屈だと思うが,反対しても「他に女性比率が増えない理由がないのだから,しかたないのだ.」と言われてしまえば,反論しづらい.だから可能であれば,もっと説得力のある,本当の(?)理由を見つける必要がある.じつは筆者には1つ思い当たることがある.というか,そもそもそれがあったのでこのコラムを書いている.

女子の大学院生の立場に立って考えてみる.大学院に進んで実験のイロハがわかり,研究にやりがいを感じるようになり,自分の一生の仕事として研究職を考えるようになった彼女たちが,どうしても意識せざるをえないのが,研究社会が思いっきり競争的であることだ.常に研究実績が比較され,勝ち抜かなければポストも研究費も手に入らない.PIにでもなれば,それがずっと続くのである.ああしんど.そう考えだしたときに,頭に浮かぶのが出産・育児のことである.厄介なことに,研究者として自分を確立していかねばならない20代後半~30代前半が,出産・育児の適齢期なのである.このハンデは大きすぎないだろうか? それでもまったく動じない「漢」な女性か,あるいはよほど「楽観的」でない限り,躊躇するのが当たり前だ.

いや,よく考えてみれば,「出産が研究のハンデ」と考えること自体がおかしい.子どもを産んで育てるのは,人生における一大事である.社会的な意義だって,きわめて大きい.だいたいにおいて,配偶者なんぞよりも実の子どものほうが,自分にとってずっと大事である.研究とどっちを取るか,なんて考えること自体が間違いである.働く女性を支援するための,いろいろな施策がこれまでに行われてきているが,それらは「ハンデを軽減する」かもしれないが,本質的に競争社会にとどまらざるをえないのは変わらない.出産・育児に集中する時間と精神的な余裕を与えてはくれないのである.したがって,いろいろ環境が改善されても,そう簡単にPIになろうと決意する女性の比率は増えないのではなかろうか.


つまり,「女性にとっての出産・育児をハンデと捉え,それを環境整備で極小化する」というスタンスでなく,「出産・育児に携わる時間をちゃんとリスペクトする」という方針にするべきだと.もっと具体的に言えば,出産直後から乳児を保育所に預ける環境を作るのでなく,乳児と一緒に過ごす時間を尊重しつつ,研究キャリアにマイナスにならないような制度であってほしい.そんな制度ができれば,「漢」でない女性でも「自分でもできる」と考えるはずだと思います.



解決の名案?


問題は,そんなうまい制度が本当に作れるのか? ということですが,意外とできそうなんですよ.そもそも,この問題は,男女の性差(女性しか子どもを産めない,母乳が出ない,でも平均寿命はかなり長い)に原因があるわけなので,それをうまく利用するのです.

まず第一は

「2年間(出産と育児の期間を仮に2年とする)休んでも,その分の年齢をカウントしない.」

である.例えば,30歳で出産・育児休暇に入った場合,2年後に復帰した時も30歳とするのである.若手研究費や留学の奨学金等に関して年齢制限があるが,それらに対する年齢もカウントしないのであれば,安心して出産・育児に専念できることになる.また,採用人事でも,その分「若い」ということになるので有利だ.例えば,男性候補36歳と出産・育児経験ありの女性候補(37歳)を比較する場合,女性候補は35歳とカウントされる.両者が同じ業績であれば,女性候補のほうが,より短い期間でその業績を上げたことになるので勝ちである.業績に関して下駄をはかせたりしないので,男性研究者からの反発も起きない.そもそも,研究とは違う「価値あること」に従事していたわけなので,研究キャリアからその分を除外するのは,理にかなっている.なかなか良いアイデアだと思うが,これだけではまだ不十分だ.たとえ,採用時の年齢を若くカウントしたとしても,定年までの時間が短くなってしまうのであれば,生涯の研究キャリアにとってはマイナスになってしまう.また,「定年まで何年」というのは,採用人事を行うサイドにとっても重要なファクターだ.


そこで第2のルールである.

「出産・育児休暇を取った場合,定年を2年延長する」

のだ.出産・育児をしても,その分,定年を延ばせるのであれば,女性側のデメリットはほぼなくなる.研究者としての実働時間は,男性と比較しても同じになる.採用側としても,残りの年限を考えれば実際に「若い」人を雇ったと同じであるので,デメリットはない.そんな無茶な? と思いますか? でも考えてみよう.女性のほうが,平均寿命が長いではありませんか? 平均余命をみれば67歳の女性のほうが65歳の男性より若いとも言えるので,このアイデアは,生物学的に見ても理にかなっている,ということになる.ど~ですか,お客さん,じゃなくて読者のみなさん.


まあ,この案が本当に良いのかどうかはわかりませんが,話を始めるきっかけとしては悪くはないと思います.少なくとも,本稿の最初に挙げた「限定公募のデメリット」はまったく起きないのだから.定年を延ばすというのは,年金の問題とかも絡んでくるが,大学はすでに法人化しているので,定年延長くらいは自分で決めることが可能である.とにかく重要なのは,女性が出産・育児に集中する時間を,「ハンデ」というネガティブなものとして扱わず,社会的にも意義のある時間であると認識できる制度にすることだと思います.そうした仕組みが確立されれば,「漢」でない女性にとっても研究者という道が現実的な進路と感じられるのではないでしょうか.

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Shigeru Kondo, Ph.D. Professor


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